おしらせ

本教会の教会員・松島俊也氏による『サイエンスカフェ2024@札幌手稲教会「動物と人間」』を開催します。
詳細は上記のリンク先か、下のチラシ画像からpdfをご確認ください。

年間聖句

彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。
【新約聖書 マタイによる福音書 8章17節】

礼拝案内

礼拝は日曜日10:30から1時間程度です。讃美歌を歌い、聖書を読み、牧師の説教があります。そのほかにも主の祈りを祈り、誕生の祈りがあります。
月に1回は聖餐式(パンと葡萄ジュースをいただく儀式)もあります。最初は少し堅苦しく感じるかもしれませんが、一週間の忙しさの中でゆっくりする時間として過ごすのもありかと思います。
また、キリスト教の要素が詰まった説教は、(多分)他ではなかなか聞けない内容だとも思いますので、それを聞きに来るのもあり、です。

次回礼拝:2024年10月20日(日) 午前10時30分から(1時間程度)
詳細は下記の週報をご確認ください。


今週の週報(PDF)

教会とはどんなところ

★ゆっくり過ごしてください

教会、宗教というと、堅苦しいイメージがどうしてもありますが、意外にも明るく騒がしいのが札幌手稲教会です。
聖書を読んでも笑えませんが、教会の中は笑顔と世間話、食事(コロナで今はなしですが)や歌声に溢れています。無論、そうしなければならないわけではなく、静かに礼拝堂に座っている方もおられれば、ゆっくり聖書や他の書物に目を通す方もおられます。
他にも、聴覚障害者のための手話の学びがあったり、視覚障害者のための聖書・讃美歌も置いてあり、いろんな特徴のある方にゆっくり過ごしていただけるような雰囲気と設備があります。

★要するに…

どんな方がお越しになっても、ゆっくり過ごせるような場所、それが教会です。

教会のイベント

★来てみて分かる楽しいイベント

コロナがある程度終息して、皆が元気に動けるようになれば…の話ですが、バザー開催(食品、衣料、手作り手芸品、がらくた市、わなげコーナーなど)、焼き肉パーティー、キリスト教三大祝祭日(クリスマス、イースター、ペンテコステ)の食事会などを行います。

★今はこれだけ

現在は食事や大勢が集まってのイベントが出来ないために、少人数で集まる聖書を読み祈る会のみを開催しています(毎月第1・3水曜日10:30から1時間程度)。

アクセス

〒006-0814 札幌市手稲区手稲本町2条3丁目3-1

牧師室より

no.557 『希望はいつもそこに』

 二週間で葬儀を二度、司式をさせていただいた。いつもはあまり考えないが、葬儀の際には「死」を改めて考えてしまう。
 大昔から人は生死をコントロールできなかった。人はなぜ生まれ、何の目的で育ち、なぜ死ぬのか。明確な答えを出せないままに、この世に宗教が生まれた。だが、どの宗教も納得する答えは出せていない。唯一言えるのは、神が限りある生を与え、限界が来て死を迎えるという教義がある、ということ。
 生に関しては、それで納得がいく。親と場所は選べないが、生きていると、素敵な存在とモノに出会い、喜怒哀楽をその都度感じ、生への執着心が生まれる。そして、生きているうちは、自分の生活をある程度、選択の自由やコントロールもできる。死も生と同様に時期も場所も選べない。だが、生との決定的な違いは、生は生き方を選べるが、(自死は別として)「死」は死に方を選べない、ということであろうか。
 私達にできることは、せいぜい「より良い死を迎えるための準備を行う」こと。最近、それが終活と命名されただけで、以前からこの準備は各地で行われてきた。だが、それにしても、誰もが納得した終活ができるわけではない。
 だからこそ、天国という概念が大昔に生まれた。誰も見たことがなく、そして、宗教心がない人でも天国の存在を疑う人は多くはない。死んでも、第二の生を満喫できるはずの天国は「死」という悲しみの出来事を和らげてくれる「希望」なのであろう。
 仏教ではそれを極楽と呼ぶが、そのためには成仏が必要で法要を50回する必要がある。そんなにしなくても、3回ぐらいでええやん、と思ってしまうのは俗っぽい私だけか。まぁ、いずれにしても、極楽という第二の生を得るための儀式ではある。
 キリスト教には復活がある。これは肉体ではなく、生きている人々の心に永遠に記憶される、という希望である。そして天国に行く。これも希望である。なるほど、キリスト教の「死」は2つの希望を持つものなのか。それを信じるなら、案外「死は」怖くない。「死んでも」希望はあると信じよう。(K・H)

平和への願い

あらゆる武力を使った争いに反対します。それはキリスト教の教えとは正反対のものです。
今、ロシアがウクライナを攻撃しています。多くの人々の命が奪われています。

札幌手稲教会は、あらゆる命(軍人、民間人、小さき存在)が神から創られた尊いものと考えています。
それらを奪うのは許されない行為です。

改めて書きます。あらゆる武力を使った争いに反対します。
人は愛し愛されるために、誰かを大切にするために生まれてきたのです。
それを忘れてはなりません。

2022年2月27日

Instagram

札幌手稲教会のインスタグラムです。

お問い合わせ