年間聖句
彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。
【新約聖書 マタイによる福音書 8章17節】
礼拝案内
礼拝は日曜日10:30から1時間程度です。讃美歌を歌い、聖書を読み、牧師の説教があります。そのほかにも主の祈りを祈り、誕生の祈りがあります。
月に1回は聖餐式(パンと葡萄ジュースをいただく儀式)もあります。最初は少し堅苦しく感じるかもしれませんが、一週間の忙しさの中でゆっくりする時間として過ごすのもありかと思います。
また、キリスト教の要素が詰まった説教は、(多分)他ではなかなか聞けない内容だとも思いますので、それを聞きに来るのもあり、です。
次回礼拝:2025年4月20日(日) 午前10時30分から(1時間程度)
詳細は下記の週報をご確認ください。
今週の週報(PDF)
教会とはどんなところ
★ゆっくり過ごしてください
教会、宗教というと、堅苦しいイメージがどうしてもありますが、意外にも明るく騒がしいのが札幌手稲教会です。
聖書を読んでも笑えませんが、教会の中は笑顔と世間話、食事(コロナで今はなしですが)や歌声に溢れています。無論、そうしなければならないわけではなく、静かに礼拝堂に座っている方もおられれば、ゆっくり聖書や他の書物に目を通す方もおられます。
他にも、聴覚障害者のための手話の学びがあったり、視覚障害者のための聖書・讃美歌も置いてあり、いろんな特徴のある方にゆっくり過ごしていただけるような雰囲気と設備があります。
★要するに…
どんな方がお越しになっても、ゆっくり過ごせるような場所、それが教会です。
教会のイベント
★来てみて分かる楽しいイベント
コロナがある程度終息して、皆が元気に動けるようになれば…の話ですが、バザー開催(食品、衣料、手作り手芸品、がらくた市、わなげコーナーなど)、焼き肉パーティー、キリスト教三大祝祭日(クリスマス、イースター、ペンテコステ)の食事会などを行います。
★今はこれだけ
現在は食事や大勢が集まってのイベントが出来ないために、少人数で集まる聖書を読み祈る会のみを開催しています(毎月第1・3水曜日10:30から1時間程度)。
アクセス
〒006-0814 札幌市手稲区手稲本町2条3丁目3-1
牧師室より
no.572 『お金にまつわる解釈』
金は天下の回りもの。これは渋沢栄一が好んで使った格言。元々は「お金は常に人の間を巡っている。今は持っていない人のところにもそのうち巡ってくる」という格言だが、渋沢曰く、「世の中は浮き沈みが激しいので、手にしているお金は永遠ではない。ケチケチして使わないよりはパッと使ってしまおう」と理解していた。さすがは一万円札に描かれている人物、言うことが豪快。さて、皆さんは格言の意味と渋沢の主張とでは、どちらが納得できるだろうか。
先日、アメリカのデルタ航空が航空機の席数以上の予約を受け付けてしまった。世に言うダブルブッキングである。案の定、予約者全員は乗れなくなり、数人は次の便に乗ってもらうことになる。その対応策として、一席を40万円で購入するから次の便で…、というアナウンスをしたところ、わんさか群がった。
こういう場合、日本は約1万円と相場が決まっている。私も幾度かその状況に出会い、「譲渡OK」と申し出たことがあるが、一万円だと申込者は殆どいなかった。それがなんと40万。
ある日、「もし席を譲って40万をゲットしたら何に使うか」と生徒達に質問してみた。すると「貯める」という答えが多数を占めた。この物価高の世の中、そう考えるのも無理はない。
だが、お金は使ってこそ、他人に渡る。格言の意味も渋沢の主張も誰かに巡る、誰かのためになる、それはつまり「使う」ということについて共通している。さらに換言すれば、他者に使うからこそ、お金に価値が生まれ、人の心も温まる。
それを教会では献金と言う。神に感謝して捧げるものではあるが、それが神に導きによって巡り巡って、困っている誰かのところへ必ず届くとキリスト教は信じている。金は天下の回りもの、私達は格言でも渋沢でもなく、教会の解釈として「金は神が巡らせてくれる」と信じてみよう。(K・H)
平和への願い
あらゆる武力を使った争いに反対します。それはキリスト教の教えとは正反対のものです。
今、ロシアがウクライナを攻撃しています。多くの人々の命が奪われています。
札幌手稲教会は、あらゆる命(軍人、民間人、小さき存在)が神から創られた尊いものと考えています。
それらを奪うのは許されない行為です。
改めて書きます。あらゆる武力を使った争いに反対します。
人は愛し愛されるために、誰かを大切にするために生まれてきたのです。
それを忘れてはなりません。
2022年2月27日
札幌手稲教会のインスタグラムです。